山南は一人、風鈴と風が奏でる音を聞きながら、部屋で読書をしていた。
 風鈴のリンリーンと鳴る音と蝉の音以外は聞こえないと言ったくらい今日の頓所内は一段と静かである。
 見廻り組は一番隊、三番隊である。残りの隊は非番であったり、各自の部屋にいるか、川辺にでも行っているかのどっちかである。
 一番暑さがピークの午後には鍛練をせずに、替わりに見廻りに行っている。鍛練は暑さが和らぐ夕方と、午前中にやる事にした。なので、見廻りが入っていない隊士達は、各自で
 好きな事をしている。鍛練をする者もいれば、部屋で寛ぐ者、川辺に行って涼しむ者もいた。隊務に支障が出ない限りは大目に見ることにした。

「…」

 風鈴が風に遊ばれながらリンリーンと音を奏でている。その音色がまるで子守歌のように優しく室内を満たしている。

「…ふぅ」

 書物から顔を上げ、一息つく。

 今日は一段と暑いな…。

 そんな事を思いながらも、着物は着崩さない山南。意地っ張りと言いか…何と言うか。

 ―あんた…馬鹿だろ?

 土方君に言われた事だ。確かに私は馬鹿なんだろう。暑さに弱いと言うのに着物を着崩さずに着ている。痩せ我慢ではない。
自分の誇りが…志しが許さない。誰にも弱みを見せず、誰にも近づかせず…誰にも干渉されない……だが、どこかで……いや、何でもない。

 そんな時。

「山南さーん、いるかい?」

 ドタドタと音を立てながら原田左之助は障子を開けた。障子を開けるのと声を掛けるのは同時だった。

「どうかしたんですか?」

 そんな原田の行動に苦笑しながらも嫌な表情はしない。山南の良いところの一つである。

「うわぁ、山南さん…よくそんな恰好でいられるねー暑くないの?」

 驚きと呆れと尊敬?の表情が入り混じった顔をした。俺なら暑く暑くてもだえ死ぬよと、そんなことを言う原田。

「暑い暑いと言うから暑くなるんですよ。暑くないと思えば自然と涼しくなりますよ」

「あぁー俺には無理な話しだね、暑い時は暑い、寒い時は寒い。涼しいと思っても体がそうもいかねーな」

 原田らしい答えである。

「それはそうですね、人それぞれですから」

 微笑みながら、そういえば、何か私に用があったんではないのですか?と、聞いた。

「あぁ、そうだった。山南、急ぎの用とか仕事がないら、俺達と“一本”やってくれないかい?」

 原田が手で竹刀を握って素振りをする動作をする。
 “一本”とは、模擬試合の事である。

「…模擬試合ですか?」

 思案げな表情をする山南。どうやらやるかやらないかを見定めているらしい。

「いや、無理ならいぃんだよ。いつも小難しい本ばっか呼んでるからさーたまには息抜きにどうかなと誘っただけだから…」

 小難しい本ですか…。
 自分から見れば普通の本でも、原田君から見ればどれも小難しい本に早変わりですか。
 そんな事を思ったら、ついつい笑ってしまった。

「…俺なんか変なこと言いました?」

 ばつが悪そうな表情をしながら山南の表情を覗き込む。原田は真面目だった。

「いや、失敬。何でもないです」

 そんな事を言いながらも、山南はまだ笑っていた。
 原田は頭にハテナマークを浮かべながら、俺、なんか言っちゃった?と、考えていた。




「今日は行かないんですか?」

 突然聞かれた事だった。

「はぁ?」

 危うく手に持っていた筆を落としそうになった。

「はぁ?じゃなくて、行かないんですか?いつもなら何かと理由を付けて行ってるじゃありませんか」

 “山南副長”の所に。
 最後の方は土方だけに聞こえるように側に寄って言った。

「…」

 言った瞬間に青筋が出たのが分かった。流石に顔は赤くならなかった。

 ちょっと期待してたのに。

 そんな事を思いながら、皆刀は黙々と書類整理をしていた。
 土方は筆を持ったまま動かない。

「…何が言いたい?」

 声を掛けられたから土方の方に顔を向けた次の瞬間。

 ガタン!!

 文机に置いてあった硯が畳へと落ちた。硯に残ってあった墨が畳へと吸い込まれていく。
 皆刀は土方に胸倉を掴まれ、グイっと土方の方へと引き寄せられていた。
 殺気を出しかねない程の眼光で皆刀を射ぬいていた。そんなに怒るような事なんだろうか?

「ふぅ、そんな殺気丸だしで睨まれても何も出ませんよ」

 町人が見たら失神し、そこら辺にいる不逞浪士なら逃げ、腕に自信がある武士でも逃げ腰になり、名の知れた武士ならば、自家に感じる殺気に冷や汗を流しながらも、どこかで楽しんでいる。
 そんな眼光を意とも簡単に流している僉刀。

 こいつ…本当に人間か?

 土方でさえたまに疑いたくなるような所がある。
 掴んでいた胸倉を放した。やる気が失せたらしい。

「それに、上司をからかっても面白くありません。」

 衿元を正しながら話す。ちょっと痛かったりしたりする。

 からかうんなら山南さんの方が面白いです。

 そんな事、口に出して言ったら今頃“首”がないだろう。

「っは、どうだか」

 そっぽを向いて、また仕事に向かった。

「はいはい、分かりましたよ。そこまで信用されてなかったんですね」

 そんな事を言いながらも嫌な顔をせずに、先程畳に落ちた硯を拾い、拭い取れる墨は拭い取った。

「ここだけ畳入れ替えた方がいいですよ」

「そんぐらいならいい」

 素っ気なく返答をする。

「分かりました。墨の方はどうしますか?」

「…山南さんの所から借りて来い」

「自分でお擦りにならないんですか?」

 土方はいつも自分で墨を擦る。自分で擦った方が濃さの調整が出来、一緒に精神統一が出来るので、時間がある時はならべく自分で擦るようにしている。趣味の俳句で使っている墨は全部土方自身が擦った墨で書いているとかいないとか。

「誰かのせいで時間が減らされた」

「…私のせいとでも?」

 涼しい顔で問いてみた。

「他に誰がいる?」

 サラっと言い返す。

「…あぁーなら、その不機嫌を直しに山南さんの所に行って来て下さい」

「はぁ?」

「私は、どっかの誰かさんが落とした硯から漏れた墨の後始末をしなければならないので」

 どーせ、最近ろくに話しもしてないんでしょ?
 と、最後に付け足した。

「お前…いつか局中法度で殺してやる」

「私闘は禁止のはずでは?」

 勝ち誇った顔で言い返した。
 うるせーと言い残し、土方は山南の部屋へと向かった。

「素直じゃないんだから」

 口元をほころばせながら墨が染み込んだ畳を布で叩き始めた。


※模擬試合のことを1本と書いてますが、これは私のほうで考えたので、信じないでください。





Don't be so bullheaded.-2