ヒュッと、風を切る音と共に男の首筋には抜刀した刀の刃先が当てられていた。
「…」
薄皮1枚が裂け、切り口に添って血が出てきた。
「俺の…」
ゆっくりとこちらの方を向いた。
「…っ!」
息が詰まる。
相手の眼差しは冷たいと言うのを通り超して無表情だ。何も表情を映していない様に見えて、その裏には溢れんばかりの殺気が潜んでいる。
背筋に冷たいものが走る。
心臓が鷲掴みにされたような錯覚に陥る。
呼吸が出来ない。
これが、鬼の副長と呼ばれる由縁なのか。
「…俺の死角に立つな」
シュッと、音がした。
音がしたと思った時には、目の前にいる“鬼”は、刀に付いた血を懐紙で拭っていた。
「っな!!」
なめられたものだ!!敵を目の前にして悠長に刀を拭いているなど。 先程の殺気は微塵もなく、鬼は拭い終わった刀を鞘へとしまう。
「土方、覚悟!!」
男が抜刀した。
「!?」
抜刀したと思ったが、手には何も握られてなく、視界も急に落ちる様に下がった。
この視界の低さは何だ!?それに、何で自分の足下が見える!?
男は混乱した。今この瞬間で自分はどうしたのかと、状況の把握が出来ない。
「言っただろ?“俺の死角に立つな”と。
俺は、自分の死角に立たれるのが嫌いでね…特にあんたら見たいな雑魚に立たれるのが」
先程の無表情とはうって変わり、今の表情には怒りと増悪が入り乱れている様に見える。殺気は、先程無くなったと思ったら、今度は隠すことなく出している。
「――」
声を発しようにも声が出ない。視界の端に赤いものが見える。
『血だ』
声にならない声で言う。 土方は血など流していない。では、この視界を埋めてくる血は誰の血だ?
「土方さん、こっちは終わりました。…うわぁ、また綺麗に斬りましたねー」
へらへらした長髪の男が障子の向こうから現れた。
「煩い。こっちは全部片付いた。他は?」
「他も終わりました」
先程から会話はなんだ?何が終わったんだ?…それより俺はどうなったんだ?
「なら、撤収だ。掃除は島田君達に任せよう」
そう言うと、土方達は何事も無かったかの様に部屋を後にした。
『鬼だ…』
男の視界がどんどん黒に支配されようとしていた。
黒い黒い…暗闇だ……。
男にはその後の記憶はない。
「珍しいですねー、土方さんが首跳ねるの」
「別に」
「…。ま、いいですけど。ほら、“山南さん”達が待ってますよ〜♪」
土方の前に出てクルクルと周り始めた。
「おい、てめぇ総司、何で山南さんとこを強調してんだ?」
「べっつにー」
土方の顔を見てから沖田は口の端を上げ、走り出した。
「こら!!総司!!」
その後を追う土方。先程までの鬼の土方とは別人のようだ。
「何やら、上が騒がしいですね…」
ずれた眼鏡を直しながら階段の方を見る。
「多分、総司が何かやったんじゃないすか?」
永倉が髪をポリポリと掻きながらドタバタと音のする方へと目を向ける。
「あ、来ましたよ」
沖田はわぁー!!鬼が来ましたよー!!などと叫びながら階段から“飛んで”きた。
「永倉さぁーん!!受け取ってくださぁーい」
「なぁ!?ちょっと、待てって!!」
ちょうど階段下にいた永倉が悪かった。
拒否する権利も受け取る体制もなしに沖田が飛び込んできた。
ドス!!
「そ、総司…てめぇ……げふ…」
飛んできた沖田が…いや沖田の“足”が永倉の胸に直撃し、そのままの勢いで床へと倒れた。受け身もなんもあったものではない。
「大丈夫ですか?永倉さん」
悪びれた様子もなく、ちょこんと永倉の胸に居座っている沖田は笑顔だ。
「大丈夫かい?…ほら、総司は避けなさい」
山南が近付いて来て、胸に居座っている沖田を退けて、永倉が上体を起こすのを手伝った。
「あぁ、大丈夫です。おい、こら総司!お前は上で何をやってんだ」
「土方さんを呼びに行ったんですよ…ほら、来た」
沖田が振り返って階段を指差す。
「総司、てめぇ、こんな所に居やがったか…新八に山南さんも居るな」
沖田を一睨みしてから永倉と山南が居ることを確認しながら階段を降りてきた。
「総司、お前には後で話しがある。新八も山南さんも終わったな?」
「えぇ、こっちは遠の昔に終わってます」
「ならいい。掃除は島田君達に任せて行くぞ」
土方が何事もなかったように玄関へと向かう。
「お二人も行きますよ」
山南がその後に続く。
「ほら、永倉さん、行きますよ」
沖田が手を差し出し、永倉がそれに掴まって立ち上がる。
「いてて…後で覚えてろよ」
「はいはい、なんぼでも覚えてますよ」
「何か、あったんですか?」
土方の後ろを歩きながら山南が聞いてきた。
「…別に」
「そうですか…」
山南の前を歩くために表情は伺いしれないが、何時ものようなすかした顔をしているんだろう。そう思う。
「土方君」
山南が呼び掛ける。
「なんだ?」
振り返ればそこには山南の顔がある。
「甘い物、食べに行きませんか?」
「はぁ?」
「よく言うじゃないですか。疲れた頭には甘い物が一番だって!…行きませんか?」
「…あんたの奢りなら…行ってもいいぜ」
ポリポリと頬を掻きながら素っ気ない態度で応じる土方を見ながら、山南はいつもの土方に戻って来たな…、と思っていた。
「なら、決定ですね。屯所に戻って、着替えてから行きましょう」
「あぁ」
そう言い終わると、今度は肩を並べて歩き始めた。後ろから沖田達が追い付いて来そうだ。
「山南さん…ありがとよ」
「…果て、何の事やら」
いつものように胡散臭い笑顔をしながら腕組みをして白々しい態度を取る山南に苦笑しながら、山南の気遣いに少なからず感謝する土方だった。

嫌いなこと。
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