その日は雨だった。
朝のうちは五月晴れで、お天道様がニコニコと光輝いていたが、段々と怪しい雲が現れたと思うと、あっという間に暗くなり、ポツポツと雨が降って来たのだ。
入梅してから一週間後の雨である。
今年の京の町は、入梅だと言うのに中々雨が降らず、田植えをしたくても出来ない状態なので、暇を持て余す農民が続出した。
雨が降り続いて寒いと豊作だと言われるが、長梅雨の年は凶作だと言われ、稲作には無くてはならない季節であるこの梅雨。
一般人から言ってみれば、ジメジメしてカビが生える時期。そんな感じである。梅雨が明ければ夏になる。
夏になったらなったで暑いから汗かいてジメジメしてやだと言うから日本の気候はやってられない。そんな入梅してからの初めての雨。
突然の雨でもあったので、傘を持ち歩いている町人なていりゃしない。
皆、急ぎ足で自分の家を目指したり、雨宿りできそうな軒先で雨を止むなり弱まるのを待っていたりと、人それぞれである。
そんな突然の雨になすすべも無く軒先で降り頻る雨を見ている男が一人。
「止みそうにありませんね・・・」
山南 敬助。
その人である。
山南が今居るのは、四条通りを東に行って鴨川を越えた川端通り沿いにある店屋の軒先だった。壬生の屯所からは結構離れている。
「川が氾濫しなうちに帰りますか・・・」
川端通りは、鴨川に架かる橋を挟んだ先にある通りだ。鴨川は、昔から氾濫を繰り返す暴れ川として知られている。
大都市を流れる河川としてはこう配が急であることに加え、平安京造営時に北山の木が伐採された事、市街地の東への拡大にともない河原が市街地化した事などに原因がある。
こんな勢いで雨が降られていると、また鴨川が氾濫するんではないかと思っても仕方が無い。
鴨川と言えば、納涼床が有名である。納涼床は、二条大橋から五条大橋にかけての鴨川西岸の料理店、茶屋などががそれぞれ川面に床を組み、それぞれの得意所で接待を行っている。
5月から9月にかけて川原に張り出した木組みの床が設けられ、5月1日から31日は皐月の床。6月1日から8月16日は本床。8月17日から9月30日を後涼みと言われている。
今年も鴨川に床が組み立てられ、入梅したのに雨も降らずにジメジメとした日が続いていたので、納涼床は大繁盛していた。
現代の日本では、某有名なチェーン店も納涼床を楽しめるとあって、時代の流れを感じる。
そんな納涼床だが、流石に雨が降っていると誰も居ない。好きで雨の日なんかに床に居る奴など居ない。そう思って何となく床の方を見てみると・・・
「あ!!」
そこには懐かしい顔が見て取れた。
「お、山南さんやかぁ!」
一件の茶屋で設けている納涼床に傘を差しながら佇んでいたのは、坂本 竜馬であった。
「久しゅうなぁー山南さん!元気にしてたが?」
番傘を差しながらニコニコと川面を見ている坂本。
「何でここに居るんですか?私はてっきりまた何所かに放浪しているのかと・・・」
急ぎ足で川端通りから橋を渡って坂本が居る納涼床へと行き、坂本が居る床へと案内してもらった。
その間に布を貰って眼鏡を拭き、坂本の所へと着いた。雨は未だに降り続けている。
「ちくっと用事でな。それより、おんしはあんであそこに居たんが?」
「近くで用事がったので。そしたら、この通りの雨ですよ」
「昔からの運の悪さは変わらんなぁー」
「坂本さん程ではないかと・・・」
「口も変わらん」
自然とお互いの間に笑いが起こる。
「浪士組はどうなんが?」
山南の番傘を取り、自分の番傘へと招く。
触れた腰が、前に触れた時よりも細くなっているのには気付かない振りをする。
「色々と大変ですけど、毎日楽しいですよ。皆も元気ですよ・・・近藤さんや源さんや沖田君。原田さんや永倉さんや平助。
最近、斉藤 一って言う人が入ったんです。前から近藤さんのお知り合いだったらしくて」
「そうか。おんしがそれで良いのなら、わしゃぁは今の所はこのままで構わんき。そう言えば、土方は元気にしてるが?」
「・・・えぇ、一応」
今の所? その言葉を気にしながら、“土方”と聞いて、ピクリと反応する。
何処と無く頬が赤くなる。
「・・・ふ、おんしの反応はまっこと分かりやすいのぉ。まぁ、そこがわしゃがおんしを好いちょいる所の一つだぎゃな」
「坂本さん…」
山南の表情が少し曇る。
「山南。土方にはわしゃがゆうておくが、何れはわしゃがおんしを拐いに行くきに」
「何を言っているんですか坂本さん!!」
坂本の言葉に眼を見開いて驚く。
「おんしは、あんな所に留まっている人じゃない!!わしゃと一緒に来てくれんか?」
山南さん!!!、と番傘を捨て、山南の両肩を力強く掴んだ。
「・・・」
小降りだった雨が、いつの間にか大粒の雨になり、勢いを増してザーザー振りに変わっていた。
雨が容赦なく二人を濡らす。
「坂本さん。貴方のお気持ちは嬉しいです。私もあの頃だったら、貴方と共に歩んで行けた。けど、今は・・・」
「土方か?」
「・・・はい」
「おんしの中では、土方はそげな大き存在なのか?」
「・・・はい」
「・・・」
暫しの沈黙。
その間も、雨は容赦なく二人を濡らしていた。
「山南さん。わしゃはもうちくっとここに入るきに、気が変わったら…」
「坂本さん!」
山南が力強く坂本の名を呼んだ。
この声音には、悲しみと拒絶の色があった。
「そか、おんしは頑固な一面んもあったな」
そかそか、と言って、何かを考え始めた。
「さかも…!!」
名前を呼ぼうとした時、坂本が山南の顔を両手で包み込むように抑え、軽く、触れるような口づけをした。
「っ!!!」
坂本のいきなりの行動に驚き、力任せに坂本の体を突き放した。
「山南さん。わしゃはおんしの事が…」
「やめて下さい!!それ以上言わないで下さい」
山南が頭を左右に振って坂本の言葉を遮った。
「山南さん…」
「すみません!!」
山南はそう言って、坂本の横を走り抜けて行った。
「山南…」
去って行く山南の後ろ姿を見ながら、坂本の右手には脇差しが握られていた。
「山南さん!!」
ちょうど玄関先にいた皆刀。
山南の濡れ鼠ぷりに驚き、山南を縁側に座らせると、急いで拭くものを持って来ますと言い、奥の方へと消えて行った。
「・・・」
坂本からの思いもならない告白に、頭が混乱する。
坂本さんと土方君。
昔の自分であるなら、坂本さんを選んでいる。
あの人の側に居れば色んな事が起き、色々な人と会える。それは今でも変わらない。そう思う。
では、土方はどうだ?土方の側に居れば?
「土方君の側…」
そう言うと、山南の意識はプツりと切れた。
山南の意識が戻ったのは、坂本の告白から三日後だった。
「…」
額に感じた冷たさにうっすらと眼を開けた。
最初に見えたのは、見慣れた天井と、心配そうにこちらを見ている源さんだった。
「山南さん。大丈夫ですか?」
「…げ……ん」
源さん。
と言いたいのだが、カラカラに渇き切った喉がへばり付いていて声が出ない。
「待って下さい。今、水を」
そう言って、源さんが水を飲ませてくれた。
「ありがとうございます」
幾分ましになった喉で声を出してみると、すんなりと出た。
「びっくりしましたよ。皆刀君が山南さんが倒れたって報せに来た時は」
「…そう、でしたか」
源さんの話しを聞くと、皆刀が拭くものをもらって戻ってみると、山南が倒れており、額に手をあてると、有り得ないくらい熱かったらしい。
「それはすまない事をした」
「まずは、体を休めて下さい。まだ熱がひいてないんですから」
額にのせてある布を取り、水に浸して適度に絞ってまた山南の額にのせた。
水の冷たさが火照った体に気持ち良い。それと同時に、またうとうととして来た。
「後で何か軽い物でも持ってきますね」
返事をしようと思ったが、意識はもう夢の中にあるようなもんだった。
スゥー。 と、障子が開くような音がしたと思った時には、もう完全に意識は夢の中であった。
「なんだ、寝ちまったか」
山南が眠りに落ちるのと同時に入って来たのは、土方だった。
「はい。先程起きたんですけど、またお休みになられました」
「そっか…後は俺が見るから、源さんは一回休んでくれ」
「分かりました。何かあったら呼んで下さい」
土方の意を読んだ源さんは部屋を辞した。
「山南さんよ…あんた、あんな雨ん中、何処に居たんだ?」
皆刀が帰って来た山南を見た時、何時もと雰囲気が違った。
と、土方に話していた。
『あれは…思い詰めていたって感じですかね?』
『思い詰める?』
『なんか違うなぁ…うぅん…何かに悩んでいたのは確実ですよ。下を見ながら腕組んでましたから』
腕を組みながら下を見るのは、山南が考えをする時の癖である。
『そうか、分かった』
『土方さん。山南さんを大切にしないと、誰かに取られちゃいますよ』
『うるさい。さっさと行け!!』
そんな話しを皆刀から聞いた。
三日前よりは幾分ましな顔色で寝ている山南を見て少しホッとする。ふと、視線を山南から外してぐるりと部屋を見、とある所で視線を止めた。
「うん?」
そこには、山南の刀が置いてある。
何時ものように長刀と脇差しが…と思ったが、そこには長刀しかない。いぶかしんでもう一回部屋を見回して見るが、何処にも脇差しが見当たらない。
倒れて運ばれて来た人間が護身用で布団の中に脇差しを忍ばせている……訳でもない。落とした訳でもないし、忘れた訳でもない…はずだ。
「…」
いぶかしみながら後で皆刀と源さんに聞こうと決め、桶の水を取り替えに部屋を後にした。

選択-前編。
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